早大探検部関係者からのカンパをお願い致します。

 SUPPORT(ご支援を)カンパを ”Please do your best for me!"

  ご支援(カンパ)を頂ければ幸いです。

  僕のために早稲田大学探検部関係者は全力を尽くして、頑張ってお金を集めてください。 

  何度もブログに書いてますが、2014年の3月から、地元、文京区立図書館を利用して、東日本大震災に関する書籍を詳しく調べています。蔵書は3500冊以上あり、東日本大震災を契機に書かれた本が非常にたくさんあることが分かりました。

  自分のTwitterのアカウントを通じて、一冊一冊、紹介文を付けて、読んだ本で感想を書ける本については感想も書いて紹介しています。

  今までに紹介した冊数は3500冊以上です。

   2014年から本格的にブログを書き始めて、2022年までに無給で3000以上のブログを書きました。

   何度もブログに書きましたが、経費が非常にかかっています。

   経費は500万円以上かかっています。

   別に誰から、強制されて、始めた作業ではありません。

   自分で、開設しているTwitterのアカウントのフォローワーさんを分析して、役に立つと思い、紹介活動をしてブログを書いてきました。

 2014年の3月から、8年以上の間、ほぼ、東日本大震災関連書籍の紹介活動をしてきました。

  それと並行して無給で3000以上のブログを書いてきました。

 早稲田大学探検部に関することも600以上のブログを書きました。

  僕が2016年の秋に僕の当時の勤務先のうなぎ屋店主にブログを毎日書けと言われていたことを書いているブログはこちら

 →「レッドブル 胃に沁みわたる 体育の日」

  もちろん、自分で思い立って始めた作業ですから、言い訳はしたくありません。

  ただ、この紹介活動とブログ執筆で、多大な経費がかかってしまいました。

  経費は500万円以上を超えています。

  もし、「東日本大震災関連書籍の紹介サイト」「上原和明のブログ ”Don't give up」をご覧になって、何か共感することのある方がいらっしゃいましたら、誠に僭越ですが早稲田大学探検部関係者からのカンパ(早大探検部関係者で500万円を集めて僕にカンパ)を頂ければ幸いです。早稲田大学探検部関係者からの支援を望んでいます。

 僕が早稲田大学探検部33期で同期だった高橋宏治からの年賀状で「みんな心配しているよ」と書かれていて、僕が思ったことを書いているブログはこちら

 →「心配しているなら支援しろ」

 僕が早稲田大学探検部33期で同期だった桜井誠人からの年賀状で

    「ブログ更新頑張ってください」と言われていることを書いているブログはこちら

 「桜井誠人にブログ更新頑張ってくださいと言われているならブログを書かないといけないなと父に言われている」

   僕がTwitterを開設したのは、2010年1月24日に早稲田大学探検部33期で同期だった森山憲一より、早稲田大学探検部35期の河合圭祐君が肺がんで余命いくばくもないので早稲田大学探検部のみんなで医療費のカンパをとのメールが届き(医療費のカンパは200万円以上集まったようです)、森山憲一のメールに心を動かされ、2010年2月15日よりTwitterを開設しました。

  僕が森山憲一のことについて書いているブログはこちら

「谷川岳山行における森山憲一の判断力」

 「自分の手を汚して早稲田大学探検部を運営しなかった森山憲一の愚かさ」

 「早稲田大学探検部時代に実は幹事長に推薦されていた」

 「嫌だった早稲田大学探検部の飲み会の幹事」

 2010年1月24日に僕のメールアドレスに届いた森山憲一からのメールは以下です。

森山憲一からの2010124日のメール」

 2010年1月31日の早稲田大学探検部関係者によるメールのやり取りは以下です。

 「河合圭祐君へのカンパについて2010131日のメールのやり取り」

 肺がんで亡くなった早稲田大学探検部35期の故河合圭祐君も写っている早稲田大学探検部時代の東北みみづくUFO探査の際の集合写真はこちら

                 ↓

 

  右上2人目が亡くなった故河合圭祐君の早稲田大学探検部時代の勇姿です。

  僕が故河合圭祐君のことについて書いているブログはこちら

「河合圭祐君のこと」

 この写真についての早稲田大学探検部33期OB田村修、斉藤泰晴とのメールのやり取りは以下のようなものです。

  「河合君の写っている写真についての田村、斉藤とのやり取り」

 この写真についての早稲田大学探検部34期OBの正木敬夫とのメールでのやり取りは以下のようなもです。

 「早稲田大学探検部34OB正木敬夫君との故河合圭祐君の写っている写真についてのやり取り」

 河合圭祐君のことがあってから2010年11月12日金曜日に新宿区神楽坂で早稲田大学探検部OBの吉澤基勝先輩、向井徹先輩、森山憲一、宮澤信也、伊東謙治、正木敬夫、上原和明の7人で飲んだときの集合写真はこちら

                 ↓

 

 左から森山憲一(33期)、吉澤基勝先輩(32期)、向井徹先輩(32期)、伊東謙治(34期)、上原和明(33期)、宮澤信也(33期)、正木敬夫(34期)です。

 神楽坂の飲み会の席で僕が吉澤基勝先輩に「働けってことでしょ」と発言したことについて書いているブログはこちら

 →「神楽坂での、「働け」っていうことでしょう。発言」

 僕の早稲田大学探検部32期OBの吉澤基勝先輩との思い出について書いているブログはこちら

 →「322にあたる吉澤基勝先輩との思い出」

 →「御茶ノ水、聖橋付近での吉澤基勝先輩との邂逅」

  「吉澤基勝先輩との思い出、神楽坂焼き鳥Rouge(ルージュ) 

 

 僕が早稲田大学探検部32期OBの吉澤基勝先輩を支持している訳を書いているブログはこちら

 →322をフォローしているわけ」

 早稲田大学探検部32期OBの吉澤基勝先輩から2009年8月に送られてきたメールについて書いているブログはこちら

 →2009823日の小竹聡君に関してのメールのやり取り」

  僕が早稲田大学探検部のことは早稲田大学探検部OB番号322に当たる吉澤基勝瀬先輩にお任せしようと思っていることを書いているブログはこちら

 →322にあたる方に早稲田大学探検部はお任せします」

 僕が早稲田大学探検部32期OB、早稲田大学探検部OB番号322の吉澤基勝先輩の支持表明を解除してすっきりしたことを書いているブログはこちら

 →322の支持を解除してすっきりした」

 「2010年2月にTwitterを開設して以来、早稲田大学探検部のためにとてつもない量のツイートをしてきました。

 早稲田大学探検部のことを思ってTwitterを運営してきました。

 僕の思いが早稲田大学探検部関係者に届いているか分かりませんが、何か感じ入るところがありましたら、是非、早稲田大学探検部関係者からのカンパをいただけることを願っています。

 僕が早稲田大学探検部関係者からの金銭的な支援を望んでいることを書いているブログはこちら

 →「この7年以上のことを考えると憂鬱になる」

 僕が家計簿の赤字のことを考えると胃が痛くなり、うつ的な気分になることを書いているブログはこちら

 →「家計簿の赤字のことを考えると胃が痛くなり、うつ的な気分になる」

 僕の父は91歳で心房細動で一日4錠の薬を飲んでいます。

 

 カルベジロール(抗不整脈薬)12錠、リクシアナ(抗凝固薬)1日1錠、 ベラパミル(心拍数調節薬)11を飲んでいます。

 

 その他に胃の薬1日2錠と、腸の薬1日1錠を飲んでいて、1日に7錠の薬を服薬しています。

 

  父は2023年6月6日の夜に、熱っぽさと寒気を訴え、家で熱を測ったところ、38度3分あり、僕がすぐに新宿メディカルセンターに電話をして、新宿メディカルセンターの急患で診ていただいたところ、コロナ陽性と診断され、新宿メディカルセンターに入院しました。父は2023年6月15日に新宿メディカルセンターを退院しました。

 2024年7月19日の診察でどこか悪いところがあったらしく、2024年7月26日の診察の際に息子さん(僕)が付き添いで一緒に病院に来て下さいということです。

 2024年8月2日の父の診察に付き添いで一緒に病院に行ったところ、文京区の健康診断で、大腸がん検査で潜血があったということで、大腸がんが疑われ、大腸カメラの検査をすることを主治医に勧められていました。父はお尻からカメラを入れる検査が怖いと言っていて、なおかつもう高齢で体力が無くて検査をしたくないと言っています。主治医の先生はもう少し涼しくなってから検査をしましょうと仰っていました。

   2024年10月6日の夕飯時に、父は気分が悪くなり、夕飯を残して、寝込んでしまいました。10月7日も一日中、寝込んだ状態で食事も出来ませんでした。熱を測ったところ、36度8分でした。10月8日になっても父の状態は良くならずに僕は新宿メディカルセンターに

電話をして、状態を説明して相談しました。病院の方は10月9日になっても具合が変わらないようでしたら、午前中に受診に病院に来院してくださいと仰っていました。10月8日に熱を測ったところ、36度7分でした。10月9日に、僕が付き添いで一緒に新宿メディカルセンターに行きました。問診票に父の状態を書いて、内科を受診しました。その後、血液検査、CT検査をして、検査の結果が出るまで、処置室で点滴をしながら、父はベッドで横になっていました。血液検査では目立って異常なところは無くて、CT検査の結果では、大動脈瘤の疑いがあるということを医師から僕が説明されました。僕は先生に、「入院はしなくてもよいのですか?」と尋ねましたが、父が入院はしたくないと言ったようで、点滴が終了したら、家に帰ることが出来ましたが、父は家に帰ってきても具合は悪そうです。10月10日になっても父の具合は良くならずに、母の訪問リハビリに来て下さっていた、理学療法士の方が、高齢者安心相談センターのケアマネに連絡、僕も兄に連絡をして、ケアマネの方と兄夫婦が家を訪問し、家では父の看護を出来ないというのがケアマネの方の意見で、兄も入院した方が良いという意見で、救急車を呼んで、救急車で新宿メディカルセンターに行き、父は10月10日に新宿メディカルセンターに入院しました。入院した理由は、脱水症状、食欲不振、歩行困難のようです。10月11日に僕が新宿メディカルセンターに面会に行き、保湿剤とマスク、現金を届けました。面会が終わって自宅に帰ってくると、父の主治医の先生より僕の携帯電話に連絡があり、父が認知症で、これからどうしましょうかと相談がありました。僕は母のように介護認定を受けて、訪問リハビリなどではと答えましたが、僕が統合失調症という病気であることなどを考えて、先生は訪問リハビリなどでは対応できないと仰っていました。父の具合が本当に心配です。10月14日に兄夫婦が家を訪問し、父が病院での認知症テストの結果11点で、認知症だということです。父は介護認定調査を受けた方が良いということです。10月15日に母の訪問リハビリで理学療法士の方が家を訪問された際に、父の入院のことについて話をすると、「認知症は家族が気付かないことがある」と仰っていたので、僕は以前、父の言動がおかしくて、高齢者安心相談センターのケアマネに一度電話で相談したことがありましたが、取り合ってもらえなかったと理学療法士の方に伝えました。父は10月17日に退院しました。退院後、父の介護認定のことで兄が高齢者安心相談センターのケアマネに相談し、父の介護認定については1,2週間後に文京区より連絡が来るということです。父の介護認定の調査は10月24日木曜日になりました。母も介護認定の調査を受けるようです。10月24日に文京区役所の介護保険課の方が家を訪問し、父と母の介護認定の調査を行いました。結果は11月末に家に郵送されるそうです。10月25日より父は認知症の診察で精神科も受診することになり、認知症の進行を遅らせる薬(ドネペジル)を処方されました。耳も聞こえにくくなっているらしくて、補聴器を作ることも提案されたようです。10月27日の夕飯後、認知症の薬(ドネペジル)を飲んでから、急に気分が悪くなってしまい、背中が痛い、痛いと言い始め(訴え始め)、口からもよだれのようなものを出して、鼻からも鼻水のような出して、少し吐きました。父は救急車を呼んでくれと僕に言い、僕は119番に電話をして救急車を呼び、新宿メディカルセンターに搬送され、急患で診ていただき、父は10月27日に新宿メディカルセンターに入院しました。10月28日に面会に行き、父と面会しました。僕は看護師さんに、「入院療養計画書に一過性意識消失と病名が書かれていますが、自宅では意識は失っていません、病院で意識を失ったのでしょうか?」とお聞きましたが、「詳しいことは医師から連絡があると思います」という回答でした。10月31日に母と一緒に面会に行きました。面会では父を診ている先生と話が出来ました。検査は脳のMRI、不整脈の検査をしていますと仰っていました。明日には結果分かるので、明日、電話で連絡しますということでした。認知症の薬ドネペジルの影響についても先生に質問しましたが、認知症の薬ドネペジルについては話はありませんでした。11月1日に父を診ている先生より電話があり、脳波の検査、不整脈の検査の結果、異常は無く、11月5日に退院することになりました。父は11月5日に新宿メディカルセンターを退院しました。11月14日に高齢者あんしん相談センターのケアマネの方が家を訪問し父の様子を見に来て、小日向ハウスというデイサービスを11月18日に見学することになりました。11月21日に介護保険被保険者証が自宅に郵送され、父は要介護1となりました。11月26日に大塚介護サービスセンターのケアマネジャーが家を訪問し、居宅介護支援契約書にサインをしました。12月3日に大塚介護サービスセンターのケアマネジャーと小日向ハウスというデイサービスの職員の方が家を訪問され、父の居宅サービス計画書にサインをして、小日向ハウスの利用についてお話しして、小日向ハウスの書類にサインをしました。父は12月7日から小日向ハウスに通所することになりました。

 

 

 僕の父は、新潟県上越市板倉の出身です。中学校しか卒業していません。上京後、東京都中央区の旅館で働き、東京都文京区水道(有楽町線 江戸川橋駅の近く)にラーメン屋(屋号 和光 のれんには「味の店」と書かれていました。)を開き母とお見合い結婚。ずっと働きづめでした。父の故郷の新潟県には父の先祖の家はもうありません。父のお父さんのお墓が新潟県上越市にあるだけです。先日、父の弟さんから電話があり、父のお父さんのお墓は墓じまいするということです。

 父は昭和8年の生まれです。いわゆる昭和ひとけた世代と言われる世代です。日本が太平洋戦争をしていた時代に子供の時期を過ごした人間です。今でも僕の家には天照大神を祀った神棚があり、父は神棚をきれいに掃除して榊を祀って拍手しています。

 父の田舎の新潟県には小学生の頃に、スキーをしに赤倉温泉スキー場に連れて行ってもらったりして楽しい思い出があるのが新潟県です。

 僕の母は87歳です。

 2020年に新型コロナウィルスが流行するようになってから、文京区の介護予防体操が中止になってしまい、ステイホームステイホームで、家にいる時間が異常に長くなり、極度の運動不足から、脊柱管狭窄症という症状になってしまいました。

 脊柱管狭窄症で、体のあちこちが痛い痛いと言って、苦しい苦しいと言っています。

 介護の判定では、「要支援1」に分類されているようです。

 僕の母は、茨城県高萩市の出身です。商業高校を卒業後(国勢調査では中卒になっていました)、東京の材木屋さんにそろばんの出来る人を募集というの応募したようで、材木屋さんのトラックで東京に上京し、上京後、東京都板橋区の福芳材木店で家政婦をして働いていたそうです。(三畳間を与えられて住み込みで働いていたようです。)その後父とお見合い結婚。父の開いた東京都文京区水道のラーメン屋でずっと働きづめでした。

 2009年1月1日(母の誕生日は正月元旦の1月1日です)の母の誕生日を祝って兄がケーキを買ってきてくれて、ケーキを前にしての母の姿を撮った写真です。

 母は自分の生まれ故郷で死にたいと言っています。

 「生まれ故郷で死にたいとつぶやく母」

                  

 

 

 2009年1月1日の、僕の家での正月の様子を撮った写真はこちら

 

 

 2009年1月1日に僕の家の近所の小日向神社に初詣に行った際の様子を撮った写真はこちら

 

 

 

         

 僕の母を産んだお母さんは母が2歳か3歳の頃に亡くなっています。その後、母のお父さんは再婚しました。訪問リハビリ中の理学療法士さんとの会話を聞いていたら、母のお父さんが母が子供の頃に、病気になり、高萩から電車で10駅くらい離れている平というところの病院に入院し、3人の子供を連れて入院したそうです。その様子を見た看護婦さんが見るに見かねて、母のお父さんと結婚してくれたそうです。母の育ての親になるその方は、炭鉱関係の仕事をしている家のお嬢様だったそうです。僕の母は、産みの親ではなく再婚した育ての親に育てられました。母は産みの親ではなかったが、分け隔て無く育ててくれたと今でも感謝しているようです。僕も子供の頃から母を産んだお母さんが母を産んだ後に亡くなったことを聞かされて育ちました。よく産みの親より育ての親と言われますが、まさに僕の母はその典型です。

 僕の母がなにかにつけて、多くの愚痴を言うのは、自分の産みの母親が、母を産んだ後に亡くなっていることから、様々な心の問題を抱えていていると僕は思っています。

 そんな母は脊柱管狭窄症という症状で体のあちこちが痛い痛い、苦しい苦しいと言って僕から見ると本当に辛そうです。

 母は介護施設に入所することも検討しています。

 先日は文京区高齢者安心センターのケアマネ(社会福祉士の資格を持っている方)が家を訪問し、訪問看護というものを勧めてくれました。介護サービス利用契約書にサインをし、訪問看護をしてくださる施設の契約書にもサインをしました。

 訪問看護は、母の脊柱管狭窄症の主治医からの指示書が無いと開始できないとのことで、主治医からの指示書待ちの状態になっていました。

 母は8月29日(月曜日)にトイレに行こうとしたところヨレヨレで父に救急車を呼ばれ、新宿メディカルセンターに入院しました。

 新宿メディカルセンターに入院して様々な検査をしたようです。検査の結果、異常は無く、9月1日(木曜日)に退院しました。

 9月1日に、高齢者安心センターのケアマネ(社会福祉士の資格を持っている方)が家を訪問し、訪問看護ではなく、訪問リハビリテーションを9月6日より始めることを知らせてくれました。

 9月6日より訪問リハビリが始まりました。

 看護師の方と理学療法士の方が家を訪問し、母の具合を診ていただきました。

 これから本格的な母のリハビリが始まるようです。

 9月27日の新宿メディカルセンターの診察で主治医に手術も示唆されたようです。母はもしかしたら、脊柱管狭窄症の手術をするかもしれません。脊柱管狭窄症の手術は手術を嫌がる高齢者が多いようです。僕も母が高齢なので、手術に耐えられるか心配しています。

  10月26日の脊椎脊髄外科の診察で、母は脊柱管狭窄症の手術をすることになりました。

 母は11月16日に新宿メディカルセンターに入院し、11月17日に手術をします。

  母は11月16日に新宿メディカルセンターに入院しました。11月17日に脊柱管狭窄症の手術をしました。手術は成功しました。

 脊柱管狭窄症の手術は全身麻酔をして、背中を切っての手術だったようです。

   11月22日に、家に新宿メディカルセンターから電話があり、母が11月25日に退院することを伝えてくださいました。

 母は11月25日に、新宿メディカルセンターを退院します。

 母は11月25日に新宿メディカルセンターを退院しました。

  母は、2023年1月29日の夜中に、階段の下からⅠ段目あたりで、転倒して、スゴイ音がして、玄関にあったバケツが割れるほど、転びました。

 転倒した際に、玄関に頭を打ったらしく、頭が痛いと言っていました。腹部も打撲したらしく、腹部も痛いと言っていました。

 僕は夜中に飛び起きて、すぐに119番に電話をして救急車を呼びました。

 母は救急車で、東京新宿メディカルセンターの急患で診察を受けましたが、朝の5時頃、家に帰宅しました。幸いに入院しなくて済みました。

 これで2回目の転倒なので、僕はとても心配しています。

  母は脊柱管狭窄症だけではなく、リウマチもあるらしく、新宿メディカルセンターの内科にも通い、リウマチの薬など、7錠の薬を処方され、毎日、薬を飲んでいます。

 その後の血液検査の結果が良好で、薬が1錠減りました。

 2024年6月4日の訪問リハビリで血圧が高いことを指摘されて、血圧計を購入して、毎日、朝と夕に血圧を計ることを勧められました。

 早速、僕は楽天市場でテルモの血圧計を見つけて血圧計を注文して、Excelで血圧記録表を作りました。

 2024年6月10日に母の血圧のことで、僕も付き添いで一緒に新宿メディカルセンターに行き、母は、採血、胸のレントゲン、心電図の検査をして、血圧を下げる薬が処方されました。

 2024年9月12日に気分が悪いと訴えて救急車で新宿メディカルセンターに搬送されて、新宿メディカルセンターに入院することになりました。しばらく入院してゆっくりと休養した方が良いということらしいです。母は入院して翌日の午前中に退院しました。軽い

熱中症だったようです。9月12日に新宿メディカルセンターで内科の診察があり、診察の帰りにタクシーに乗ったところ、タクシーが冷房が効いておらずに、軽い熱中症になったようです。母は介護認定調査の結果が11月21日に介護保険被保険者証として自宅に郵送され、要介護1となりました。11月26日に大塚介護サービスセンターのケアマネジャーが家を訪問し、居宅介護支援契約書にサインをしました。11月28日に大塚介護サービスセンターのケアマネジャーが家を訪問し母の居宅サービス計画書にサインをしました。

 

 母の田舎の茨城県高萩には小学生の頃に毎年、夏休みに帰省して、高萩の海で海水浴をしたり、ビーチガーデンというプールで泳いでいました。茨城県高萩も僕にとっては楽しい思い出のあるところです。

 母は昭和12年の生まれです。太平洋戦争をしていた時期に子供時代を過ごしています。

 僕は56歳です。僕は、都立小石川高校、早稲田大学を卒業しています。僕が一人暮らしをしていた頃の30歳の頃に新宿区高田馬場の紫藤クリニックで文章完成法テストとロールシャッハ・テストの結果、統合失調症と診断され、精神障害2級の精神障害者手帳を持っています。ルーラン(4mg)、ユーロジン(1mg)という薬を服薬しています。長い間、ルボックスという薬も服薬していました。

 

 2024年5月14日の精神科の診察の際に、早稲田大学探検部関係者の悪質な幻聴、「尊属殺人起こせ」「上原をカイラス北壁で殺す計画が出来ている」など、が聞こえていて、夜眠れないのですが、と精神科の主治医に相談したところ、母校の関係者からのひどい言葉だねと精神科医も同情したようで、ペロスピロン塩酸塩錠8mg(アメル)という薬が処方されました。ルーラン4mgが8mgになったようです。

 

 僕が僕を統合失調症と診断した精神科医に大きな不満を持っていることを書いているブログはこちら

 →「これからはネットで情報発信していく医者が必要になる」

 僕が現在の精神科の主治医に不満を持っていることを書いているブログはこちら

 →「何も事情を知らない主治医」

 →「どうも現在、通っている精神科医と相性が悪いようだ」

 僕が僕を精神科医が統合失調症と診断したのは精神科医の誤診ではないとか思っている事を書いているブログはこちら

 →「どうも精神科医とは信用出来ない」

  僕が2年に1回、自立支援医療の診断書代として精神科のクリニックに5500円も払っていることを書いているブログはこちら

自立支援医療の診断書がなんと5500円に。」

 2012年頃から胸の痛みを感じ、文京区水道の中原医院に行ったところ、狭心症を疑われ、心臓画像クリニック飯田橋で精密検査(心臓に造影剤を流し込んでの心臓撮影、CTスキャン、MRIなど)を受け、精密検査の結果、食道裂孔ヘルニアを伴う、逆流性食道炎との診断で通院して薬(タケキャブ 20mg、プロトンポンプ阻害薬=PPI  prton pump inhibitor)を飲んでいました。

  僕が逆流性食道炎と診断されてから医師をやっている早稲田大学探検部33期OBで同期の松田和郎に相談した際のメールについて書いているブログはこちら

 →「逆流性食道炎の対処法、医師からの伝言」

 長い間、高脂血症との診断でコレステロールの値を下げる薬、ビタパスタチンCa錠(1mg)も飲んでいました。

  2020年にはPSA(前立腺特異抗原)の値が48.920まで上昇し前立腺ガンを疑われ、前立腺炎と診断されて新宿メディカルセンターに入院しました。

 僕が新宿メディカルセンターに入院したことについて書いているブログはこちら

 →926日から102日まで入院していました」

  2020年には文京区小日向のかさい眼科で視野検査をしたところ左目が緑内障と診断されました。緑内障の進行を遅らせるための目薬(ラタノプロスト点眼液0.005%)を処方され、毎日、点眼しています。

 2023年7月18日のかさい眼科での視力測定によると、僕の左右の目の視力は左右ともに0.03ということでした。

  2022年9月27日、安倍元首相国葬の日に25年くらい前、僕が一人暮らしをしていた頃に、早稲田大学に併設するリーガロイヤルホテル5Fにある戸塚ロイヤルデンタルクリニックという歯医者さんで作った上の前歯のブリッジが突然、取れてしまい、文京区小日向の小日向台町歯科という歯医者さんに通院することになりました。上の前歯は、僕が中学生の頃に、体育の授業で水泳をしていて、プールで泳いでから、プールから上がろうとした際に、前歯の1本ををプールの塀にぶつけてしまい、前歯が折れてしまい差し歯にしていました。もう1本の前歯は、多分、中学生だった時だったと思いますが止まっている車にぶつかってしまい、前歯が折れてしまって差し歯にしたと思います。僕が一人暮らしをしていた頃に、早稲田大学に併設するリーガロイヤルホテル5Fの戸塚デンタルクリニックという歯医者さんで前歯2本がグラグラして危ないので、前歯の隣の歯4本と差し歯2本の6本をブリッジにして、前歯をブリッジにしていました。虫歯がひどく、ブリッジの根っこの治療もしなければならずに、治療は1回、1時間半くらいに及ぶこともあります。 11月23日に、歯の型を取り、12月7日に、前歯のブリッジをセットします。前歯のブリッジをセットするのにかかる医療費の金額は保険適用でも、53710円もかかると言われました。12月7日までに5万3710円用意しなければなりません。父から5万円も支援をいただき、なんとかしました。本当にお金に困っています。12月28日に上の前歯のブリッジの本付け(セメントで付けて取れないようにする)をしました。

  2022年10月27日に文京区の健康診断の結果を文京区水道にある坂巻クリニックに聞きに行ったところ、悪玉コレステロールの値が非常に高く脂質異常症との診断で、コレステロールの値を下げる薬、ビタパスタチンCa錠(1mg)を服薬することになりました。逆流性食道炎で胃の痛みも治まらないので、タケキャブ10mg(プロトンポンプ阻害薬=PPI  prton pump inhibitor)も服薬することになりました。文京区の健康診断の結果、要医療でした。

 2022年12月6日の文京区水道にある坂巻クリニックでの診察で、へその辺りの腹痛を訴えたところ、過敏性腸症候群ではないかとイリボー5μgを処方されました。原因はストレスらしいです。2週間くらいイリボー5μgを服薬してみて、様子を見てから病院に来て下さいと言われました。2週間後の診察で過敏性腸症候群との診断で、イリボー5μgを毎朝、服用することになりました。

 2023年1月17日の坂巻クリニックの診察で、薬代が高いと訴えたところ、逆流性食道炎の薬がオメプラゾール(20mg、朝食後)に変わりました。過敏性腸症候群の薬も、リンゼス(0.25mg、朝食前)に変わりました。

 2023年2月15日の診察で、逆流性食道炎の薬がタケキャブ20mgに変わりました。過敏性腸症候群の薬がイリボー5μgに変わりました。

 2023年2月18日の診察で、血液検査の結果、悪玉コレステロールの値が高く、ビタパスタチンCa錠(2mg)を服薬することになりました。

 2023年3月15日の診察で過敏性腸症候群の薬は飲まないことになり、逆流性食道炎の薬のみを服薬することになりました。又、採血もして、採血の結果次第で、脂質異常症の薬、ビタパスタチンCa錠(2mg)を服薬するかどうか決まります。

 2023年3月18日の診察で、脂質異常症の薬、ビタバスタチンCa錠を3mg服薬することになりました。「ニコチン依存症」とも診断され、、禁煙補助薬、ニコチネル(52.5mg)を処方されました。薬局に薬が無かったので、まだ、ニコチネルは服用しませんが、いよいよ、禁煙、卒煙しなければならない状況になっています。

  2023年6月3日の診察で、逆流性食道炎の薬は、タケキャブ10mg2錠になり、朝晩服薬することになりました。

 2023年6月12日に朝、熱を測ったら、37度5分くらい熱があったので、かかりつけ医である坂巻クリニックに電話をして相談したところ、コロナの検査をしました。検査の結果、コロナ陽性でした。解熱鎮痛剤のカロナールという薬を処方され、自宅療養して下さいということでした。

 2022年11月2日に文京区の歯周疾患検診を小日向台町歯科でしたところ、要精密検査になりました。

 2023年11月27日に文京区から特定保健指導ご案内の封書が届き、2023年の健康診断の結果、メタボリックシンドロームの疑いがあるというので、特定保健指導を受けて下さいということでした。2023年の健康診断で体重が74キロもあったので、メタボが疑われたのだと思います。

 2023年の暮れより、目が充血していて目が赤くなってしまい、熱も2024年1月3日に37度5分以上(最高で38度6分)になり、2024年1月4日に、坂巻クリニックの発熱外来を受診しました。

 目の状態を見た医師はアデノウィルス感染症、はやり目ではないかと指摘し、コロナの検査をせずに、眼科に行きなさいと仰っていました。 

 2024年1月5日にかさい眼科を受診したところ、オフロキサシン点眼薬0.3%,フルオロメトロン点眼薬0.1%を処方されました。

 2024年1月8日のかさい眼科の診察で「はやり目」ですかと尋ねたところ、「はやり目」とのことでした。

 2024年1月10日に母をかさい眼科に連れて行ったら、僕の目の病気が感染して、母もオフロキサシン点眼薬0.3%,フルオロメトロン点眼薬0.1%を処方されました。2024年1月22日の診察で眼科の先生からは母には白内障があり、白内障の手術をしないといけないと言われました。

 父も目が赤くなり、目が痛いと訴えたので、2024年1月22日に父をかさい眼科に連れて行ったら、母の目の病気(はやり目)が感染したようで、父にもオフロキサシン点眼薬0.3%,フルオロメトロン点眼薬0.1%を処方されました。

 2024年は新年早々、僕がはやり目に罹り、母にもうつり、父にもうつり、家族3人ともはやり目に罹りました。踏んだり蹴ったりの新年になってしまいました。本当に痛い目に遭い、酷い目に遭い、弱り目に祟り目とはこういうことを言うのだなと思いました。

  2024年2月9日に、文京シビックセンターで特定保健指導を受けたところ、メタボリックシンドロームの対策として、体重を71キロに落とすこと、腹囲を86センチにすることを目標に、ウォーキング歩数を1日2000歩増やし、1日平均12000歩を目指すこと、クリーム系のアイスクリームは週1回にすること、毎日、体重計で体重を測ることが課題になりました。

 何故か2024年6月には体重が62キロくらいになっていました。体重は大幅に減りました。腹囲も82センチくらいになっています。

 体重が激減していて、腹囲も目標の86センチを大幅に下回る腹囲(82センチ)になっているので、ウォーキング歩数は1日8千歩程度にしています。

 クリーム系のアイスクリームがやめられずに、暑くなってきているので、毎日のように食べてしまっています。

 LDLコレステロールやHbA1c(過去1~3か月間の血糖値の平均値)などを改善するためには、クリーム系のアイスクリームを週1回までに減らすことが大事なことのようです。

 禁煙も勧められています。禁煙成功のコツというコラムがメタボのことを相談している会社からメールで送られてきました。

 以下のようなものです。

 【コラム ~禁煙成功のコツ~】

禁煙の前にしっかりと対策を考えておけば、成功率は上がります。
禁煙成功のコツについて紹介いたします。

①やめる理由を明確にし、吸いたくなったら思い出す(紙に書いて持ち歩き、吸いたいときに取り出して読むと効果的です)
②いつ、どんなときに吸っていたかを思い出し、喫煙していた時間をどうするか考える(冷たい水を飲む、深呼吸をする、ストレッチなどがおすすめです)
③喫煙欲求が軽減する食事に切り替える(味の濃いものや油っこいものは喫煙欲求が高まります)
④たばこの代わりになるものを見つける(趣味や夢中になれるもの、特に手を動かすものや体を動かすことがおすすめです)
⑤環境を整え、周囲の協力を仰ぐ(たばこやライター、灰皿はすべて捨て、家族や身近な人に応援を頼みましょう)
※薬局で購入できるニコチンパッチやニコチンガムを活用することもおすすめです。
また、禁煙外来ではさらに効果の高いニコチンパッチやメンタル面でのサポート、健康保険の適用ができる場合もございます。

今日1日だけ吸わないでおこうという、たばこを吸わない練習から始めてみてください。
失敗したとしても何度でも挑戦できます。失敗を次に生かして、またチャレンジしてみてくださいね。

 
 なんとか禁煙もしないといけないと思っています。

 僕は国民年金は65歳からもらったとしても、最大で月5万5千円くらいしかもらえません。

 僕のおかれている窮状を何とかご理解していただき、早稲田大学探検部関係者からのカンパをいただけることを願っています。

 早稲田大学探検部OB会会員の力を結集させて、僕のために全力を尽くして頑張ってお金を集めてください。

 以下、カンパのための口座です

  ゆうちょ口座 

 銀行名               ゆうちょ銀行 

 店番         018  

 預金種目       普通預金      

 口座番号              1857553

 口座名義人      ウエハラカズアキ

  何卒、「ご支援」(カンパ)をよろしくお願い申し上げます。

 

参考のために2013年と2014年、2015年の出費を報告します。

(僕の個人的な家計簿をエクセルファイルでファイルでアップします)

 

ダウンロード
2013年、2014年、2015年 家計簿 
2013年と2014年、2015年に自宅とカフェで療養しながら、「東日本大震災」関連書籍を調査し、開設しているTwitterアカウントを通じて、紹介活動をしてきた時にかかった経費です。

皆様からのカンパの際の参考にしてください。
2013年,2014年,2015年家計簿.xlsx
Microsoft Excel 12.8 KB